私の父(故・小林正信)は私が中学1年の時まで市内の総合繊維問屋に勤務するサラリーマンでした。1968年(昭和43年)に理由あって株式会社 北越の社長に就任し、その後を私が継ぎ今日に至っております。
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私の父(故・小林正信)は私が中学1年の時まで市内の総合繊維問屋に勤務するサラリーマンでした。1968年(昭和43年)に理由あって株式会社 北越の社長に就任し、その後を私が継ぎ今日に至っております。
そもそも前進座とは、1931年(昭和6年)に創立されて以来、歌舞伎から現代劇まで多彩な活動を続けている劇団です。私もNPO法人きものを着る習慣をつくる協議会の仲間と10年くらい前から毎年1月に京都・南座に掛かる演目を何度か観に行っておりました。そのときは特典として舞台終了後、NPOの会員だけが南座の舞台に上がり演技を終えたばかりの役者さんと一緒に写真を撮ったりしました。
仕事で楽しみといえば夜の自由時間。私は食べるにしても飲むにしても地元のお店を探して入るのが好きです。7年目の立川は、行き慣れた店もでき「去年も今頃来ましたよね?」と声を掛けてくれる店もできました。そうなると帰りに「来年も来るね。」と言って店を出ます。些細ですが、気持ちは楽しくなります。
2月19日に行った講演会の中で多くの皆様からご寄付を頂いた「ねがい桜」の奉納を普門寺・熊谷光洋住職の読経で無事、済ませて参りました。
目的は今年の小千谷ちぢみや夏物のきものに合わせる麻の帯地と麻の襦袢地生地に墨流しの染出しをお願いに、㈱薗部染工の薗部正典さんに会う為です。
中越沖地震10年という節目に何か行動をという思いで、東日本大震災後から大変お世話になっております岩手県陸前高田市普門寺の熊谷光洋住職に講演をお願いに参りますと、ご住職は東日本大震災で亡くなられた方々の今年は七回忌、これも何かの縁と快くお引き受け下さいました。“NPO法人きものを着る習慣をつくる協議会”中塚一雄理事長(円 純庵)からもこの講演に賛同してもらい、この日の為に円純庵作詞・黒田真里慧作曲の“「2つの海」6000日に祈り”という歌を作って頂きました。
2011年(平成23年)3月11日東日本大震災直後、私の所属する、京都が本部の“NPO法人きものを着る習慣をつくる協議会”の中塚理事長は、支援の行動を起こしました。最初は震災の年の夏、我がNPO法人らしく全国のNPO会員からゆかたの寄付を募り、被災地の方々に差し上げ、その夏に着て頂く活動です。この支援を皮切りにいろんな形の支援を今日まで続けております。
お正月のお屠蘇(とそ)の意味を初めて知りました。私は、お屠蘇は正月に飲む日本酒とばかり思っておりました。お客様と店での会話の中で遠路嫁いでこられた方が、初めての正月を迎えた時にお屠蘇と思って頂いたものが日本酒でビックリしたと話され、「えっ、お屠蘇って日本酒じゃないんですか」と言ったところ、「違うでしょう」との返事。
1日・2日と店は第一火曜日・水曜日の連休で、1日は自宅の周りの草刈りなど冬支度を行う予定で おりましたがあいにくの雨、久しぶりに家でのんびり過ごしました。明日雨だったら久保田さんに会いに行くの「いやだなァー」と思っておりましたがその日は青空。気分良く長岡に向かい10時半過ぎ到着。久保田さんの出迎えを受けました。