目的は今年の小千谷ちぢみや夏物のきものに合わせる麻の帯地と麻の襦袢地生地に墨流しの染出しをお願いに、㈱薗部染工の薗部正典さんに会う為です。
京都へ行く予定はしていたのですが日程が決まらず、前日になってネット予約をすると、この時期世の中春休み、検索で出てくるホテルは少なく、出てもビジネスホテルが無く、高級ホテルばかりでした。仕方なく一歩手前の敦賀に泊り、翌日京都に入ることにしました。
敦賀は海に近く海産物の町です。私は初めての場所で地元の居酒屋に入るのが楽しみです。ホテルで紹介してもらった居酒屋へ入り、早速地元の酒とお勧めを聞くと「今日は団体さんが居て魚類は何もありません。」との事、世の中歓送迎会の時期、観光地も居酒屋も繁盛しておりました。喜ばしいことですが個人的にはガッカリです。
さて本題。2年前に薗部先生にお会いし、サワリだけ墨流しのやり方を教わりました。それ以来の久しぶりの再会です。薗部先生も奥様もお元気でした。染出しの話は直接話をする事ですぐに終わり、お茶を頂いていると、薗部先生と奥様から「わのわさん、うちの商品売らない?」との事。最初意味が解らず「え?直接売ってもいいのですか?」との問いにお二人から昔は昔、今は今、との返答。「よかったら、今選んで行く?」「はい」と即答。別室に通されると六畳ほどの部屋に反物がぎっしり。これみんな在庫ですかと聞くと奥様が「そうなの、在庫抱えて大変なの」と答え、薗部先生脇でニヤニヤ。時も忘れて作品を見ていると先生から「お昼予約したから食べに行こう。帰って来てからまた見れば」と言われ、気づくともうお昼でした。お言葉に甘えて先生の運転(!)で雰囲気の良い竹の庭を眺めながらの季節の筍づくしの食事を頂きました。
食事中、先生と色々話をさせて頂きました。2年前に伺った時は二十歳後半の女性のお弟子さんが一人、今日は新たに若い女性が二人も入っておりました。先生は今年、80歳だそうです。何とか後継者をと思い頑張って育成に励んでおられます。最初にお会いした方は昨年技能試験に合格し、将来は独立させてやりたいそうです。
先生にはお子さんが3人おられ、長男はJR東日本で関東に在住・長女は金沢に嫁ぎ・二男は市内で役所勤めだそうです。誰も後を継いでくれませんと寂しそうに一言。二男さんにお孫さんがいて小さい時から継がせようと働きかけはしていて、継いでくれるなら住まいと染場全部譲るのにと言っているが未だ良い返事をもらえないそうです。
三重県出身の先生は、若い頃にお父様を亡くし、長男で家を支えなければならず、最初は東京に出たのですが、直ぐに京都に移り、染織の世界に入ったそうです。昔は働けば働くほど賃金をもらえ、仕事は見て覚え、そして独立。その頃は銀行も黙っていてもお金を貸してくれ、景気にも支えられ染場も三か所・従業員も30名ほど居て、一日に反物を200反も染めていたそうです。景気に陰りが見えてくると、あっという間に火の車、銀行からの矢のような催促。そして今ある染場以外は全て手放し、最後は奥様と二人で細々と営んでいたそうです。紆余曲折があり、それを見ていたお子さんは継ぐことをしなかったのだそうです。
それでも諦めず染織の研究をし、独自の墨流しの技術を確立。世界的に有名なスポーツメーカーから皮に墨流しの染織を依頼され、これを機に多方面から仕事が来ているそうです。先生は京友禅協同組合連合会に所属され、きもの振興と後継者育成に尽力を尽くされ、この春功績が認められ黄綬褒章を授与されます。80歳にして前を見据え、ものづくりを追及するエネルギー。まだまだ私たちも頑張らなくてはという気持ちになりました。
墨流し染の小紋を8反お借りして来ました。「さすがわのわさん一番新しいの選んだね」と先生が。そして先生と奥様が口を揃えて「返さんでええから全部売って。そしたらうちも助かるから」との事。プレッシャーです。
という理由で京都の名工の貴重な作品を8点、是非見に来て下さい。お待ち致しております。