この業界は販売会などを行う時に、冠を付けたがります。普通に○○展示会・秋の○○発表会で良いと思うのですが、今のわのわのように創業○年とか、社長還暦記念販売会や今までの感謝と御礼を込めて○○さん退職販売会、応援してくれる問屋や織元の創業○年記念販売会などと頭に一言付けたがる不思議な業界です。皆様も冠に対して創業〇年凄いですね、社長還暦おめでとうございます、○○さんご苦労様でした、長い歴史のある会社ですね、などと声を掛けて下さいます。すると私たちはなぜか冠がついていることで、うまくアピールできたと思ってしまいます。
これはただ私たちの販売会をやるんだと言う気合だけです。きっと皆様はそれがどうしたのと思われているでしょうが、私たちは懲りずに冠を付け続けるでしょう。
55周年の第一歩は、父が勤めていた会社が解散したことから始まります。その時私は中学生、妹二人は小学生でした。その頃の父の心境は私には察しも付きませんでしたし、父の思いなど何も感じず過ごしておりました。
後で父が言っていましたが、あの時は会社が解散することへの理解は出来ていたがその先を考えると眠れなかった、と言っていました。父の勤めていた会社は総合衣料問屋で仕入と販売の両方を受け持っておりました。父は総合衣料の中から、きもの中心の問屋を始めることに決めていたそうです。
その時に手を差し伸べてくださったのが今までお付合いをして下さった仕入先と販売先の両方の方々だったそうです。父はこの両方が応援してくれなかったら今は無いと、飲むとよく言っていました。
その後、以前にひとり言で書いたように、父の私の将来への思いを母が導いて行ったのです。その導きの通りに父の後を継いで今日に至っております。そして私も父を救って頂いた仕入先、販売先とは長いお付合いをさせて頂きました。先期でそのお付合いが全て終わりました。
ひとり言に何を書こうか悩んでおりました。こんなことはいつものことなのですが、今回は何も出てこないのです。締め切りは今日。今は〆切の日の朝4時。目が覚め、ここまで書きました。今年は父の没後20年、母の新盆、不思議ですね。二人に書かされたみたいです。
創業55周年の冠はまだまだ続きます来年の3月まで。皆様どうぞお付き合いの程、宜しくお願い致します。