44年間は長かったのか短かったのかと問うと、長かったようでもあり 短かったようでもありますし、楽しかったのかと問うと、楽しかったようでもあり そうでもなかったようでもあり、さらに大変だったのかと問えば、それは大変だったことが多かったように思います。でも私が父を引き継ぎ今ここに居ることは事実です。
なぜ今日ここに居られるのだろうと考えてみました。何となくですが、節目節目の時に思わぬ人が現れ、進むべき方向に導いてくれたような気がします。その導きにも大きな導きから小さな導きまでいろいろですが、言えることはその時に会えた人たちのお陰で、もし会えていなかったら選択を誤っていたかもしれません。ただこの選択で今日あるのが正解だったということでしょう。
入社して暫くは父に連れられて販売先、仕入先を回りました。その時に大きな影響を受けたのが今は無き十日町の産地問屋と京都の総合問屋・近江屋の2社です。この2社が口を揃えて言っていたのが、新潟県内の問屋は県内上位3社に入らないと将来生き残れないということです。そして現在生き残っているのは3社です。その頃は信じ難かったのですが、我が社が生き残るには上が多すぎて困難なことは明白でした。その頃から生き残るにはどうすればよいか考え始めておりました。
そこに草木染作家・野々村暢香さんと出会い20年間に渡り野々村さんにいろんなことを教わりました。例えば今なにが売れ、なにが売れないなどと商品の情報や、小売店ではこのような売り方が流行っているよと言った小売店の情報、そして小売を始めるには絶対必要な商品の情報。この商品の情報についてはこの後に出会う人々からも出会った数だけ教えて頂きました。
そして一番大きな出会いが中塚一雄さんです。中塚さんとの出会いで、問屋業から小売業への決断を致しました。そしてその後、小売業と問屋業を兼ねるようになったのも中塚さんによるところが大きいです。中塚さんの第一印象は、いろんなところに連れ回された印象が一番です。訳も分からず言われるがままついて行っていたような気がします。そして暫くすると以前会った方たちと仕事上の付き合いが始まりました。今でも多くの方々との付き合いは続いており、お世話になっております。
最初の出会いから、枝が分かれて木が育っていくように新しい出会いの枝が四方八方に広がって行き今でも伸び続けています。新型コロナの影響で、出会いのための行動が制限され動きが鈍っておりましたが、国が「withコロナ」の方向で舵を変え少し動けるようになってきました。これからもいろんなところに枝を張っていきたいと思います。そして皆さんに得た情報をお伝えしもっともっときもの生活が楽しくなればと思っております。
55年は節目です。そして通過点です。もうしばらくお付合いをさせて頂けますよう頑張りますので宜しくお願い致します。