20210701

先日、テレビのドラマの中で主人公の女優が暗闇の埠頭から湾の対岸で輝きを放っている

夜景を見ながら「普通って何?」と問いかけながら、昔の夜は真っ暗闇が普通だったのに今はこの夜景が見えることが普通だねと言っていました。

 昔の普通の物が今では考えられない進化を遂げている物が多いような気がします。例えば電話。私が電話で一番古い記憶にあるのは家から数十メートル離れたところに郵便局の前にあった木の箱で薄緑のペンキで塗られていたガラス張りの電話ボックスです。その電話はダイヤル式ではなく今で言うオペレーターを呼び出す方式だったと記憶しています。たまに郵便局の奥さんが、私の家宛に電話が掛かって来たからと呼びに来てくれていました。今から考えると通話料金はどうなっていたのだろうと思います。それから急速に家庭へ固定電話が普及しアッという間にほぼ全戸に行きわたりました。

私の青春時代は固定電話と公衆電話の時代でした。

 その頃、私の家の電話のある場所は家族が集う居間にありました。家族団欒の時に掛かってくる彼女からの電話。逃げ場、隠れ場はありません。受話器を片手に振り向くと家族が一斉にこちらを見て聞き耳を立てているような何とも言えない空気の中で言葉を選びながら会話をした記憶を思い出します。こちらからかける時も一苦労です。居間に誰もいないことを確認し掛けておりました。その後、我がまま言って親子電話にしてもらいました。親子電話は今でいう子機と違って無線で飛ばすのではなく、配線をしなければならなく大変でした。

 自由な東京での生活。この時代は公衆電話でのやり取りが主体でした。暑さ寒さそして雨の中でも連絡は全て公衆電話10円玉のみの公衆電話。楽しい話も大事な話も今夜こそ伝えたいという話も10円玉が切れると通話も切れた時代でした。一度引越しをした時に親が私との連絡が取れないと困るというので固定電話を入れてくれたのでしたが、無いほうがあの頃は良かったと思っておりました。その後100円玉が使えるようになり、そして長電話が可能になったのがテレホンカードの出現。10円玉・100円玉を持ち歩く必要もなく便利になったなァと感じたのも束の間、ポケットベル・PHS電話・携帯電話・スマートフォンと通信手段の進化のスピードの速さは目に見張るものがありました。

 固定電話・公衆電話が普通だった時、携帯電話が普通になり、今はスマートフォンが普通な時代です。この先今の普通がどのように変化を遂げるか楽しみですし、今普通のスマートフォンについていけない私が次の普通についていけるか心配です。

 今の子供は、公衆電話から電話を掛けられない子供がいるそうです。今から生まれる子は、物心ついたころ、固定電話・公衆電話・携帯電話を知らないかもしれません。これらは普通ではなくなっているのです。私が思っている普通と私の子供が思っている普通には相当のひらきがあるように感じます。これは私の親と私とのひらきとは比べ物にならないくらいのひらきだと思います。

 「普通って何?」普通って物の変化だけでなく、コロナ禍で普通だったものが普通でなくなり、普通でなかったものが普通になったり、その時に影響を及ぼす全てのもの変化をもたらし、それが受け入れられると普通になるのではないでしょうか?

 貴方にとって「普通って、何ですか?」

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