20191101

今年も残り一枚となりました。二か月綴りのカレンダーが。

本当に年を重ねると一日・一か月・一年が過ぎ去るのが早く感じられます。生き物に与えられた唯一の平等が時間だと思うのですが、なぜなのでしょうか?以前NHKの“チコちゃんに叱られる”では、「子どもの頃と違い大人はトキメキが少ないから」というようなことを言っていました。きっと小さい頃は見るもの聞くものが全て新鮮で初めてのことが多く、知識や感動を得るために思考がとどまり時を必要とし、成長するに連れ、日々の経験や感動が蓄積され新しいトキメキが少なく、得るものが薄くなり、日々起きていることに対してただ時が過ぎるだけという感覚になるために時が過ぎ去る、という違いではないでしょうか。

 私は地方卸業を営んでいた父の会社に入社して間もない頃、小売店回りで社長や奥様にお会いするのが嫌な時期がありました。それでは営業にならないのですが、その頃は社長や奥様が何というか体格ではなく大きく感じたのです。市内で言うと今は亡き、紺太の中村松次郎さんや三忠呉服店の大奥様です。お二人にお会いする時の、正面から私の顔を覗く目の鋭さにいつも身の引き締まる思いでした。

体力的には絶対的に優位なのですが、お二人の気迫というか威厳というか、何とも言えない内から出る迫力に体中が緊張していました。長い年月その緊張感は解れなかったのですが、年の差は変わらないのですが、お二人が年を重ね目の鋭さが鈍って来たな感じたとき、急にお二人が愛おしく思えてきたのです。これも年月が早く感じられる感覚と同じで、お二人にお会する機会やそこでお話する体験が重なる連れ、緊張感も和らいでいったのだと思います。

 緊張感は徐々に薄れて行ったのですが商売の大先輩、緊張感が無くなることはありませんでした。私は多くのお店の社長や奥様から商売人としてはもちろん人として計り知れない教えを受けました。そんな方々を、愛おしく思った時はいつも同じ時です。年の差が外され、お一人お一人の老いを感じ、素の人柄が出た時です。本当に愛おしく感じられました。

 先日、父が大変お世話になった方が遠路突然来店されました。いつもは店先で一言二言話すだけでお帰りになるのですが、その日は奥に上り世間話をされました。その方は、今の柏崎の状況を私が30歳手前の頃に話して下さっていたのです。その頃のお話を父と聞いて信じられなかったのを覚えています。内容は近い将来、柏崎の店舗が今の10分の1の店舗数になるというものでした。

その時には世界情勢も話されたのですが内容は覚えておりません。今その通りどころかそれ以上になっています。なぜ?あの時に言いきれたのかと考えると、あの方は世界を見、日本を見、そして柏崎がどうなるかを知り、教えたのだと思います。これから柏崎はどのようなところに行くのでしょうか?

 今回は何が言いたいのか、何を聞いて欲しいのか分からないひとり言になってしましました。突然訪れた方は今84歳、私に向かってまだまだ若いとおっしゃいました。高齢者になってしまったと思っておりましたのにまだまだ若い。その方までと思えば何と後20年は大丈夫。

もうしばらくいろんな情報を得、経験・感動を蓄積したいと思います。

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