吉田拓郎の「落葉」「外は白い雪の夜」と河島英五の「時代おくれ」が聞きたくなります。先日もその時が来ました。
1978年(昭和53年)吉田拓郎の「外は白い雪の夜」という曲は男が女性に別れを告げる内容のものです。その中の一節に「女はいつでもふた通りさ 男を縛る強い女と 男にすがる弱虫と 君は両方だったよね」という節があります。いまから40年前の曲です。あの頃は、フォークソングの全盛期で吉田拓郎大好き人間でした、今もそうです。
この曲を目を閉じて聞くと、いつも同じ情景が浮かんできます。場所は東京・原宿の古びた喫茶店で木のテーブルと木の椅子が不規則に並ぶ店内、テーブルの上には丸いガラスの灰皿がぽつんとあり、客はまばらで、携帯・スマホの無い時代、老若男女が笑顔や鎮痛な表情で向かい合い、タバコの煙でかすむ店内で会話している風景です。そして自分はその中で、あの一節のような両方を持っている女性の話しを黙って聞いているのです。
思うのです。あの頃は会って話しをする機会が多かったのではないでしょうか?顔と顔を合わせ目と目を見て話しをしました。相手を見、喜んでいる、怒っている、笑っている、我慢している、泣きそうになっていると表情を見ながら判断し会話を返していました。見えない表情に喜んだり、怒ったり、笑ったり、泣いたり出来ません。今も顔を合わせて話しをすることが多くなれば、世の中もう少し良くなると思います。
的外れの話になりましたが、「外は白い雪の夜」の曲で男を縛る強い女性と男にすがる弱虫な女性、両方を持った女性が私は好きです。
1986年(昭和61年)河島英五の「時代おくれ」の一節に「妻には涙を見せないで 子供に愚痴をきかせずに 男の嘆きは ほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く」。こんな私になりたいと思っていました。今は良き事、悪き事関係なく涙腺が緩み、かみさんの前どころか子供の前でも涙を見せてしまう今日この頃です。愚痴と言えば息子か娘か忘れてしまいましたが、幼稚園の頃 大晦日に二人で番神堂に歩いて初詣に行く道中、私が「今年は大変な年だったなァ~。
来年は良いことあるかな?」とひとり言。すると子供が「パパ、コツコツ真面目にやれば、来年きっと良いことあるよ」私の愚痴に返事が返って来ました。あの時、自分が恥ずかしくなった思いと、子供の前では愚痴るものではないなと思ったものです。
とは言え今も娘の前でつい口から愚痴が出てしまいます。娘は聞こえているのかいないのか反応なし、まッ良いか。そして、「男の嘆きは ほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く」私にも嘆きを置いて行く場所が必要です。分かって下さい。
いつものことながら、訳の分からない理解に苦しむ話しになってしまいました。すみません。最後に1973年(昭和48年)「落葉」この曲は私の最後の時に流して欲しいと思っている曲です。今回紹介した曲は、気持ちが少し沈みかけているときに無性に聞きたくなる曲です。皆さんもありませんか?次回は気持ちはハイな気分の時に聞きたくなる曲を紹介します。