20170901

先月のひとり言では、後悔と市場の売上の急降下の現状をお話し致しました。

きもの業界は、私が就職する数年前くらいが最高の売上だったそうです。

 その後は、ジワジワと右肩下がりの状態が今日まで続いております。そんな中、全国チェーンの小売店と大展示場での展示販売会が主流となり、華やかな販売合戦が繰り広げられ、既存の小売店並びに私たち地方問屋の生き残りを掛けた戦いが始まりました。

 第一に考えたのが、問屋業をやっていけるかどうか?と言うこと。そのことについて懇意にしていた京都の総合問屋と十日町の産地問屋の言うことは一緒で、近い将来新潟県内で3本の指に入ることが出来れば問屋業をやっても大丈夫、入らなければ他の生きる道を考えろと言われました。その頃は、新潟県内でもきものを扱う問屋は数十社ありました。将来3社の中に残れるか?答えは簡単。無理です。実際に現在新潟・長岡・上越に各一社の県内は3社のみです。では、これからどうするか。そんな時、叔父の「糸偏に絡んだ人間は糸偏から抜け出せない」という言葉を思い出し、生きる道はきもの専門小売店と思いました。

 現在に至るまでに、店として二人の方に大きな影響を受けました。お一人は京都の草木染作家・野々村暢香さん。1990年から年に一度来柏し、きものの販売はお客様と商品ではなく、お客様と作り人、そして販売する人との人間関係であることを教えて頂き、それを深めるためにきものパーティや旅行そして接客方法などを20年間伝授して頂きました。

 もう一人は、1998年からお付合いのあるNPO法人きものを着る習慣をつくる協議会の理事長中塚一雄さん。中塚さんには、作り人や織人などきものに関わる人との橋渡しをして頂く事により、きものの制作方法・用途・それらにまつわる知識などなどを教えて頂き、それを皆様に知って頂くための伝達方法などを教えて頂いております。中塚さんとは現在進行形で20年を超えるお付合いとなっております。

 このお二人は、私の進むべき道の案内人。そして、その道を進むべきかどうかと相談した、今も健在の私の叔父。叔父のお蔭で間違った道を進まず今ある道で良かったと感謝しております。進むべき道を示して頂いたお二人、適切なアドバイスを示してくれた叔父。さらに“わのわ”が今あるのは、皆様お一人お一人が暖かく見守り、心から応援して下さっているお蔭です。

 最後にもうお一人、私の親族を除き私たち夫婦を今でも暖かく見守り、心から応援し育てて下さっている私の小学校低学年時代の恩師。(個人情報上、個人名は控えさせて頂きます)私が小売業を行うことを決心し、野々村さんの催事にお抹茶をお客様にお出しすることを考え、先生に助けを求めに行ったのが大人になってからの先生との出会いです。あれから30年、先生にはいまだにお世話になっております。

 創業50年を想い、自分の人生を振り返ることが出来ました。私は多くの人と出会い、多くの人から教えを乞い、多くの人から助けられ、多くの人から応援していただき今日があります。こらからも多くの人と関わりを持ち楽しい毎日を過ごして行きたいと思っております。

 ちぢみ屋正兵衛のひとり言で50年をちょっと振り返ってみました。大事な大事な皆様への御礼と感謝の文が短くて済みません。上手く文に表しお伝えすることが出来ません。お許しください。

Comments are closed.