20240901

8月9日に米沢・新田の会長 新田英行さんに会いに行ってきました。

今回は仕事の話もありますので宣伝部分が多く記されるかもしれません。悪しからず。

 昨年の9月に会長にお越し頂き作品展を行う予定でしたが、新型コロナウイルスの為、来柏を断念せざる得ませんでした。今年は是非ともお越しをとお願いしていたので、その打ち合わせに伺ったという次第です。1年ぶりに会長のお元気な姿を見て安心しました。そして息子の源太郎社長に次から次へと作品を持ってくるように指示をし、1点ずつ私たちに丁寧な説明をして頂きました。

源太郎社長と相談し、厳選した作品を持って来て頂けるとのことです。今は源太郎社長の許可が出ないと思うように作品を動かせないんだそうです。会社組織の中での親子関係が垣間見えたような気がします。

 美智子が会長に、きものではない新しい会長の作品は出来ていないか、と尋ねると「あるよ」と立ち上がり別室へ。暫くすると数点抱えて現れました。以前にも何点か見せて頂き、わのわのお客様にも求めて頂きました。今回は今までとはまったく異なった作品で、わのわのお客様にもお見せしたいと言うと会長「いいよ」と一声。この額に入った作品は会長が独自で判断でき、会長自身が動くとき以外はあまり動かさないのだそうです。これも一見の価値があると思います。乞うご期待を!(イベント:よねざわ新田展 – 2024年09月06日(金) – 09月08日(日)開催

先日、小千谷の樋口織工藝社 社長樋口隆司さんを訪ねた時の話です。9月に新田の会長をお招きする話をすると、時間があったら私のところにも寄って下さいと伝えて欲しいとのこと。はて?と聞き返すと、中越地震の時に新田の会長と米沢の草木染 野々花染工房の諏訪好風会長 お二人が地震後早々お見舞いに来てくれたのだそうです。以前から織物を通じて交流が続いていたのだそうです。

樋口さんから、今私が75歳 新田さんが76歳 諏訪さんが77歳。諏訪さんは催事など人前では作家としての威厳を保つため笑顔を見せなかったそうです。そして自分より一つでも年下の人には上から目線で相対していたそうで、近くに居て新田さんは大変だったろうなと樋口さんがポツリ呟きました。今はそんなことは無く、全盛期の話だと思います。お三人ともそれぞれ魅力的な個性をお持ちで、何度お伺いしても気持ちよく招いて頂いております。偉大なお三人に気楽に会える私たちは幸せです。

 樋口さんが日本伝統工芸展に初出品で初受賞したのが1990年(平成2)のことでした。今から34年前の話です。私は30歳半ばで、問屋業で駆け回っていた頃です。その頃、つくり人は岐路に立っていたのだそうです。それ以前は産地問屋(生産地の問屋)の力が絶大で、問屋が指示していたものを作っていれば何も心配なく過ごせていたそうです。私達も地元の産地問屋や京都・東京の中央に構える総合問屋に行って商品を仕入、販売していました。

 この少し前から 大手きものナショナルチェーンが問屋を飛び越え産地と直接取引を始めました。

各問屋の力が急降下で弱くなり つくり人は生き残りのためにオリジナル商品を作り、差別化を図らなければならなくなり、樋口さんは自身で図案を考えオリジナル商品を発表し続けたそうです。

 今では、私達だけではなく一般の方も、樋口隆司・新田英行・新田源太郎・諏訪好風・諏訪豪一、と、織元の会社ではなく作家個人の名前で呼び合っています。これは全国的な傾向だと思います。

 取り留めもない話ですみません。以上が、ちぢみ屋正兵衛の独り言でした。

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