20240201

2024年1月1日16時10分に起きた能登半島地震。

皆さまにおかれましては被害が御座いませんでしたでしょうか?
お客様の中には被害に遇われた方もおられるようです。
お見舞い申し上げます。

 私達はその日、長岡蓬平の高龍神社に初詣に行っておりました。10年以上続く恒例行事ですが、今年は例年になく神社が混雑していて、普通なら昼過ぎに参拝を終わらせ2時くらいには家に帰っているのですが、高龍神社の龍と辰年で参拝者が殺到したおかげか、駐車場に入り参拝するまでに3時間半もかかり、参拝を終えて駐車場に戻って来た時に地震に遇いました。

揺れはかなりのものがありましたが震源地はどこだろうなどと話しながら帰宅の途についていると、携帯に大丈夫かと言う通話が殺到、途中で車を止めカーナビのテレビを見ると柏崎・鯨波で津波の音声。ビックリです。大変なことになっているとやっと気づきました。店に寄り家に帰ったのですが、どちらも幸いに大きな被害はありませんでした。翌日から会う方会う方に今回の地震は怖かったとお聞きし、実際にその場に居らず経験値が違い、怖さの共有が得られず話の中に入れない自分がいました。

 1月18日6時27分、私の恩師・若井きよさんが享年101歳で大往生されました。先生は私が小学校1年生から3年生の担任でした。ここまでなら普通の先生と生徒の関係ですが、先生と私は、私が35、36歳の頃から別の意味での先生と弟子の関係になりました。

 再会は先生がお抹茶を教えているところから始まります。その頃私は京都のきもの作家から柏崎の地にお越し頂いて皆様に作品を見て頂きたいと思っていて、お越し頂くのにはおもてなしをと考え、お抹茶を振舞おうと若井先生を頼り、お願いに伺ったのが長い長い先生とのお付き合いの始まりでした。

 最初はその時限りのお付合いかと思っておりましたが、なんと35年間という長いお付合いとなりました。お茶を点てて頂いた後、お礼に参るとお茶を習うよう誘われ、お抹茶は...と尻込みをする私に、お煎茶を進められ弟子となりました。 先生はお抹茶もお煎茶も教えていたので、事あるごとに誘って頂き、お茶会にご一緒させて頂きました。初めての会が夜咄の茶事。お茶会とは長時間正座し沈黙の中で作法に従ってお抹茶を頂く、程度の知識しかなく、席入れなど最低の作法を習って、いざ本番。そのお茶会は私が想像していた茶会とは全く違い、初めての体験の茶会でした。

 私なりの解釈ですが、茶会とは招く方から毛筆にて案内状を頂くことから始まり、出向くと床の間には掛軸が掛かり、お花が活けてあり、それから私たちが習っている作法でお茶(濃茶・薄茶・煎茶など)を頂き、手料理の振る舞いがあり、ありとあらゆるものを習得しての茶事、してないと茶事は出来ないのだと知り、新しい世界を見、体験をしました。夜咄の茶事は、茶事の中で一番気楽な茶事だそうで、酒好きな私にとって和蝋燭が灯る良き雰囲気の中でお酒を頂き、茶事が好きなってしまった覚えがあります。

 これは若井先生が何も知らない私に、まずお茶の世界の楽しさを教えようとの先生らしい作戦だったような気がしますし、これがその後の朝の茶事・暁の茶事・正午の茶事・口切の茶事などを経験させて頂きましたが、私にとっては夜咄の茶事が忘れられません。そして口切の茶事が一番辛かった思いも忘れられません。全て良き思い出になっています。若井先生を語るにはどうしてもお茶の話をしないと話が進みません。次の機会に他の面をお話ししたいと思います。

 若井先生にはいろんな事を教えて頂きました。本当に私の先生でした。ありがとうございました。

 天寿を全うされ天に召された若井先生、安らかにおやすみください。


わのわ ちぢみ屋正兵衛のひとり言

Comments are closed.