20201101

部屋の中を整理している時に、書棚の下の段にいつもある分厚いアルバムが目に止まって

何となく手に取り、開いてみました。このアルバムを開くのは何十年ぶりのこと、そしてその中は半世紀も前の写真が詰まっていました。


 記憶の無い小さい時の写真から結婚前の写真です。その中に45年前に友達4人で行った北海道旅行の写真がありました。そこにはわのわのお客様の知らない私が写っています。今回初公開で御座います。

 北海道旅行はもう少し多い人数で前の年から計画し、一年後の夏休みに実行するものでした。参加の条件は一年間に20万円を貯めた者が行けるということで、結果、写真の4人で車は2台で行きました。車2台で4人、1台で行けたのに何で2台?そこには深い理由(わけ)?があったのです。一か月近く旅をする間に必ず彼女が出来る、そしたら1台で4人だと彼女を乗せるスペースがない、それなら2台で行こうと、なんと愚かな考えの4人旅でした。

結果、車を止める度にジャンケンをし、乗るメンバーをシャッフルするだけの旅でした。そうそう、2台で行ったお蔭で宿が取れないときは車中泊が出来たのが唯一のメリットでした。

 徐々にあの時の思い出が湧いてきました。それを書くと何ページあっても足りません。旅は写真の一番左にいる福見潤、彼の実家が余市で家族から大歓迎をされ、小樽や積丹半島などの数日間の観光は福見家にお世話になりました。その上稚内では福見家の親戚の家に転がり込んでお世話になりました。

 この旅で北海道人の何と社交的なこと!そして輪の中に導いてくれる大きな心を持った人がたくさんいたことを思い出します。写真は見てのとおり摩周湖です。期待を裏切らず霧に包まれて何も見えません。でもこの後一瞬だけ霧が晴れ湖面が見え、皆で感動した記憶が蘇りました。

 4人での旅は札幌が最後で明日は潤とは別れ、私たちは帰路に着きます。別れの前に精算をした時の話です。潤のご両親や稚内の親戚、車中泊の時キャンプ場で知り合った、どこかの町長家族にご馳走になったりと美食三昧だったのに予算が多く残りました。場所は札幌。全員一致で「キャバレーだ!」と話は決まり、ススキノへ繰り出しました。そこで一悶着、入場を拒否されたのです。成人に見られなかったのです。どんなに説明してもだめで、最後学生証を出して何とか入る事が出来ました。学生証を出してまで入るところではないという恥ずかしさがありました。本当に楽しい旅行でした。

 この旅行の前の年の夏、母親から帰省を許してもらえませんでした。写真の中の私の髪は少し長めです。この一年前は肩までありました。それを見た母からの、近所に対して恥ずかしいからその格好で絶対に帰ってこないでくれ!の一言で帰省をやめました。この時は髪を泣く泣く切って帰りました。皆さんこんなにあったんです、私の髪。今日はここが一番読んで欲しいところでした。

追伸
数年前、余市の潤のお母さんから電話で潤が亡くなったことを知らされました。ご冥福を祈ります。

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