20200601

2020年4月24日金曜日、午後6時30分。突然その出来事は起こりました。

緊急事態宣言が発令されている中、店も定刻に閉めて帰宅し明日はゴミの日だからと前々から気になっていた厚紙を部屋で千切っていた時のことです。突然左腕の肘から手先にかけて反応が無くなるというか何も感じなくなったのです。痺れかなと思いカッターを右手に持ち、左手で紙を持とうとするのですが、全ての指に動かそうとする私の意思が伝わりません。腕を持ち上げると肘から先が、操り人形の糸が切れたようにダラーンとなったままです。

 その時はまだ私の身体に何が起きたのか理解できず、自分の足で夕飯の支度をしているかみさんの所に行き、自分の口で「ちょっと、この左の手を見てくれ」と言うと、かみさん「何ふざけているのよ」と一言。私、「何も感じず動かすことも出来ないから医者に行きたい」と説明し、受話器から呼出し音が聞こえる中、かみさんに「口が利けるなら、自分で説明すれば」と言われ、掛かり付けの先生に自ら事情を説明すると、先生「どうも、脳梗塞の疑いがあります」と一言。午後7時から柏崎総合医療センターで夜間外来が始まるから直に行くようにと指示されました。

 ここで始めて事の重大さに二人で気付き、柏崎総合医療センターで内科医の診察を受けました。その先生も脳梗塞の疑いがある、今日はここでの処置は出来ないから、新潟病院を紹介するので直に向かうように、と。先生「奥さんの運転で行きますか?10分くらいで行けますよね?」かみさん「はい」先生「その旨も伝えておきます。」そして新潟病院に着くと、紹介のお蔭で直ちに診察室へ。出て来た医師に少しビックリ。小柄ですごく若い女医先生。すぐに診察し年配の看護師にMRI・胸部レントゲンなどと指示を出し、初めて乗る車椅子で検査室へ。検査が終り診察室へ戻ると先生は自分自身で首のエコーを診たいのでエコーの設備をここに持って来るようにと看護師に指示。私は横になり待っていると、先生、大学のエコーの装置と違うからと看護師に操作の方法を尋ねる。えっと一瞬不安になる。その他 血圧・採血・心電図の検査が終わり、しばらくすると診察室へ呼び出され先生の話を聞く。

 結果、右脳の脳梗塞と診断が下り、先生「今日は帰れません。これから入院の手続きをしてもらいます」。時刻は午後10時30分過ぎ、「まだ、夕飯食べていないんですけど」と言うと看護師さん「もう 売店も閉まっているし、すぐに入院の準備と手続きを行いますので今日はこのまま病室へ。食事は明日の朝まで辛抱です」と返事が。病室に入りしばらくすると「白衣も着ずに私服で済みません」と少し年配の先生がいらして病状の説明があり、今から24時間そして48時間が大事ですので一緒にがんばりましょうと言われても、この頃には指が少し動くようになっていたこともあり、自分の症状がまだよく理解できず「はい」と返すだけでした。 翌日、年配の方の先生が来られ月曜日からの検査の内容の説明と今回の脳梗塞で血栓が出来た場所が左半身の足に障害を及ぼす場所に近かったのが心配なのだとの言葉を聞いて驚きでした。

 入院3日目くらいから、五本の指が自分の意思で動きだし、少しづつ握る力も出て来ました。その後病状の悪化も無く肘から先の症状も回復し、無事5月8日に退院することが出来ました。この病気は発症してからは時間との戦いだと聞きました。新型コロナウイルスの騒動が無かったら発症の日は東京・深川で催事の初日を迎えておりました。また運転中だったら、かみさんが居なかったら、痛みも何もないので睡眠中だったらと考えますと運が良かったと思います。私は突然でしたが、前触れとして頭が痛くなったり、手足が痺れたり、呂律が回らなくなったりしたら、迷わず救急車を呼ぶことだそうです。皆様もお体にはくれぐれも気を付けてお過ごし下さいませ。

 多くの方々に多大なるご迷惑とご心配をお掛け致しました事、心よりお詫び申し上げます。本当にありがとうございました。

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